サッカーの試合や練習で結果を残せない子供の姿を見ていると、
ウチの子、サッカーの才能がないんだな…「
と感じることってありますよね。
サッカーって、
なんだかんだ親のサポートが必要な競技です。
小学生年代なら尚更です。
試合の日は朝からお弁当を用意して、
チームの車出しをして試合に同行。
週末は子供のサッカーでつぶれます。
そんな中で子供が結果を出してこないと
イライラしますし、
「才能がないのに続けることの意味があるのかな?」
と感じてしまいます。
恥ずかしながら、実はこれは私の話です。
正直、子供のサッカーに付いていくのも憂鬱になっていた時期がありました。
そんな時、ハッと気づかせてくれたのが
スクールのコーチが子供に仰っていた
「やり続けるしかない!やり続けろ!」
という言葉でした。
サッカーの才能なんてない我が家の子供達に、
我が家はヒーヒー言いながら投資(金銭的投資、時間的投資)をしています。
でも、この投資には意味があると信じています。
なぜ才能のない子供たちにサッカー投資をするのか、私の考えをお伝えさせて頂きます。
子供のサッカーの才能って何?
突然ですが、
子供のサッカーの才能って何でしょうか?
- 足が速いこと?
- ドリブルが上手いこと?
- 試合でハットトリック連発すること?
- 身体が大きいこと?
確かにこんな選手は試合で注目を集めます。
トレセンやJ下部に合格する子も
こんなタイプの子が多いです。
こういうタイプの子は、華がありますよね。
フィジカルに恵まれたり運動神経が良いことは
一種の才能と呼べると思いますし、
実際にこういう子を欲しがるチームも多いでしょう。
なぜなら、勝てるから。
でも、こういう子が必ずしも生き残っていく訳ではないのが
サッカーの面白いところではないでしょうか?
子供の頃から注目されてサッカー選手になる方もいます。
でも、子供の頃は注目されていても
サッカー選手になれない方もいます。
逆に、子供の頃は全くの無名選手だったのに
大学サッカーで頭角を表しプロ入りする選手もいます。
結局のところ、
子供の頃に才能だと思っていたものが、本当に才能なのかは分からないのだと思います。
だからと言って、
努力だけでどうにかなるとは思えません。
でも、努力してやり続けてみないと
ダメかどうかも分からないのだと思います。
リオネル・メッシの言葉に
努力すれば報われる。
そうじゃないだろ、報われるまで努力するんだ。(リオネル・メッシ)
というものがあります。
メッシは才能を持ったサッカー少年だったのだと思います。
だからこそ『ホルモン分泌不全性低身長症』と診断された時も
バルセロナが治療費を払ってくれたのでしょう。
でも、低身長というハンデを持ちながら
バルセロナに援助を申し出させる技術を習得するには
相当な努力があったはずです。
治療後も努力に努力を重ねたのでしょう。
結局、やり続けた人にしかチャンスは巡ってこないし
努力し続けた人しか見られない景色があるのだと思います。
サッカーで成功するかは分かりません。
でも、『才能がない』と諦めてしまうより
もがいて、もがいて、もがき続けて
自分の中で何かを見つけられる人生に価値があるような気がしています。
一番の才能は『サッカーが好きなこと』
色々な境遇のサッカー選手がいますが
唯一共通しているは
【サッカーが好きこと】
だと思います。
数年前の話になりますが、
元日本代表の方や、プロサッカー選手の方のお話を伺う機会に恵まれました。
お話を伺う中で感じたのは、皆さん
- とても努力をされていること
- 苦しんだ時期を乗り越えていること
- サッカーが大好きなこと
でした。
サッカーが好きだから技術を高めることに貪欲になれるし、
サッカーが好きだから辛いことがあってやり続けられる。
【好きこそ物の上手なれ】という言葉がありますが
サッカーが好きである事こそが才能なのではないでしょうか。
サッカーは、体を張るスポーツです。
相手を怖がらずに向かっていき、ボールを怖がらずに飛び込んでいく。
転んだりは当たり前。
自分が怪我するリスクよりも、
点を取られなくない気持ちの方が優ってしまう
ちょっと変わった人達。
人間の本能である危険回避の観点からすれば
ちょっとおかしいです。
でも、人間の本能なんて超えてしまうくらい
サッカーが好きなんでしょうね。
サッカー選手の中には、
「ほかの事がやりたかったけど、
気付いたらサッカー選手になっていた…」
という羨ましすぎる方もいますが、そんな方は少数派ですし
本当にサッカーより他の事が好きならば
サッカーは辞めていたのではないかと思うのです。
サッカーが好きだけど、他のことも好きだというのが本当のところではないでしょうか。
うちの子はサッカーの才能ゼロです
ちなみに、ウチの子供たちはサッカーの才能はゼロだと思います。
特に長男は才能ナシの典型的パターンです。
謙遜とかではなく、客観的に見てそう思います。
だからこそ、最初の頃はサッカーに費やす時間やお金がもったいないと思っていました。
- 身長はクラスで1番低い
- 足の速さもクラスで後ろから数えた方が早い
- リフティングを練習しても10回もできない
- そもそも運動神経が悪い
サッカー選手になって欲しいなんて全くもって思っていなかったので、
子供が「サッカー選手になりたい」と言い出した時は焦りました。
いやいや、君にサッカーの才能はないだろう…と。
足が遅くても、身体が小さくても、どんなにトロくてもサッカーが好きという気持ちだけは持っていました。
小学校6年生のある試合、
当日バックをやっていた息子はゴールを守るために
ゴールポスト方向に頭から突っ込んでいきました。
どう考えてもゴールポストに直撃コース。
ボールをクリアした後、直撃する直前で手を使って方向転換に成功した為ケガはありませんでしたが、
正直頭のネジが吹っ飛んでるなと思いました。
後から聞くと
ゴールに直撃するとは感じたものの
それよりもゴールを決められる方が嫌だった。
あの場合、足から行くより頭から行く方が早かった。
もし、直撃して死んじゃっても、ピッチの上で死ねるなら幸せ。
と言っていました。
身の危険を感じつつも試合の方が大切とは、
救いようのないサッカーバカです。
親としては身体や命は大切にして欲しいのですが
子供がそこまで夢中になる姿を見せられては
反対などできません。
今は
『自分が納得できるまで、ひたすらやり続けなさい。』
と考えています。
サッカーの才能なんてカケラも無い息子です。
プロサッカー選手なんて遥か遠いものでしょう。
中学の進路調査プリントの、将来の夢を書く箇所には『プロサッカー選手』と書いて先生を困らせる息子。
先生の目から見ても、それが遠い場所にあると思えるからこそ
現実的な夢を一緒に探してくれているのだと思います。
でも、私は夢をとことん追ってみればいいと思っています。
夢を追うって若いうちの特権です。
回り道になるかもしれませんが、
後から他の道に進めない訳ではありません。
変にサッカーを諦めさせて他の道を見つけさせるより
自分で限界を感じるまではやり続けて欲しいと思っています。
きっと、それしか納得できないのだと思います。
本気で好きなことに出会えるのは幸せなコト
サッカーの才能がある天才なんてごく僅かです。
でも小学生年代でサッカーの才能を開花させ話題になった子が
必ずしもプロサッカー選手になっているかと言ったら
そうではないですよね。
プロ選手になれる子の方が少数派です。
私は子供の姿を見ていて、プロになれるかどうかよりも
『プロを目指して頑張ること』
に意味があるのだと思うようになりました。
(私にしたら、すごい進化です!)
何かを頑張る事を知っている子は、
サッカー以外の道に行っても強いはずです。
個人的には、運動神経の良さであまり努力しなくても
トントン拍子にうまくいく才能のある子の方が心配です。
もちろん、そのままうまくいけばいいですが、
サッカーはケガのリスクも付きまとうスポーツです。
そんな時のダメージも大きいのではないでしょうか。
うまく立ち直れればいいのですが、
- 他に自分が好きな事に打ち込めない
- 打ち込む方法がわからない
という話も聞いたことがあります。
サッカーが上手でなくてもサッカーが好きな子は、
メンタルが強いです。
自分が信じている限り、可能性はなくなりません。
私は、『好きなこと』を見つけられた子供達は
とても幸せだと思います。
才能のアリ・ナシは親が決めることでは無いのかもしれません。
きっと、いつか嫌でも本人が
自分で自分をジャッジする時が来るのだと思います。
その時までは、
出来る限りサポートしながら見守ってあげるのもち親しかできない事
なのだと自分を納得させています。
*才能がないから、地道にサポートすることにしました。
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